こんちには、梅干しソムリエ橘香央里です。
今週も梅を食べてハツラツといきましょう♪
子供向けユニットねぎかぉ
子供向け活動を始めて10年目になるユニットねぎかぉ。
今年も神田すずらんまつりで子供向けおはなし会と、後半メインステージMCをさせていただきました。
ねぎかぉおはなし会のかぉりんのコーナーでは
子供にこそ梅干しを推奨して「梅干しクイズ」や「梅干しはどーやってできるの?」「梅干しの効果は?」など
子供達にもっと梅干しを知ってもらうべく毎回いろいろな梅を発信しています。
今回は南高梅の名前の由来を『ある村の梅』というめくり紙芝居にしておはなししました。
(この紙芝居は、私が取材をし作成したものです)
保護者の方からも「へ〜知らなかった!」「とても分かりやすかった」とさらに梅に興味を持っていただけたようだったので
南高梅の由来、その紙芝居をこちらでもご紹介します。
めくり紙芝居「ある村の梅」作絵:橘香央里
昔むかし、和歌山県の南部川村というところに、高田貞楠という若者がいました。
ある日、貞楠は家の桑畑を梅畑にしようと近所から梅の苗木を買ってきて植えました。
するとその中に、桃のように大きく赤い実が たくさんなる木をみつけました。
「おお、これは良い木だ!よし名前をつけよう」と自分の苗字をとって「高田梅」と名付け大切に育てることにしました。
それから何年もたった頃
ひとりの若者が、兵隊から故郷の村に帰ってきました。
名前は小山貞一といいました。
「よし!これからはウメ作りをしよう」と梅の木を探していたところ、
桃のように大きく赤い実がたくさんなる木を見つけました。
それは、30年前に貞楠が植えた あの梅の木でした。
「なんてすばらしい木だ!この木をぼくに分けてください」と貞一がいうと
「お前は年も若いし将来ある男や、この梅の木の枝を分けてやろう」と貞楠は枝を分けてやりました。
貞一は譲ってもらった木を何年もかけ
一生懸命たくさんたくさん増やしていきました。
そんなある日のこと
村で1番よい梅の木を見つけよう!と
村中から自慢の梅の木が集められ
梅くらべをすることになりました。
1番よい木はどれか
村の南部高校の生徒と竹中先生が調べました。
長い時間をかけて調べ
ついに1番よい梅の木が決まりました!
それはなんと!貞楠が見つけて 大切に育て
貞一が一生懸命増やした、あの木でした。
貞楠が梅の木を見つけてから、なんと65年もたった日のことでした。
この木は梅くらべをしてくれた南部高校の「南」という字と、高田梅の「高」の字をとって「南高梅」と名付けられ、日本で1番有名な梅になりました。
貞楠さんが見つけた最初の梅の木は
120年を超える今も毎年花を咲かせているんだとさ。
おしまい
南高梅の名前の由来
明治35年、たかだ果園先代の高田貞楠さんは所有する桑畑を梅畑にしようと、近所の勇惣佐七さんから内中梅の実生苗を60本購入し畑に植えました。
その中に1本だけうっすら赤みがかる大粒の実をたくさんつける優良品種の梅の木があることを発見!
高田梅と名付け、これを母樹とし大切に育て、のちの南高梅となる「高田梅」の基礎を作りました。
それから31年後の昭和6年。
同じ村の農家の息子、小山貞一さん(五代庵の会長夫人のお父様)は兵隊から帰ってきて、農業経営の将来を梅栽培に託し優良品種の梅を探していました。
親戚から高田家に良い梅の木があると聞き、門外不出の高田梅を譲ってほしいと頼みに行ったところ、貞楠さんは快く穂木を譲ってくれたそう。
「高田梅」の穂木60本を譲り受け、接木をしてもなかなか育たない苦労を乗り越え、小山さんは栽培を続けて梅畑を広げていきました。
それから約20年後、昭和25年。
梅の優良品種を統一して市場の安定させるため、この地に適した梅を見つけようと、「梅優良母樹調査選定委員会」が設立され、小山さんも委員に就任しました。
37種の候補から南部高等学校教諭 竹中勝太郎さんと生徒たちが5年間調査しました。
結果「高田梅」を最優良品種と認定しました。
最後まで残った7品種
「白玉梅 しらたまうめ」
「古城梅 ごじろうめ」
「養青梅 ようせいうめ」
「改良内田梅 かいりょううちだうめ」
「薬師梅 やくしうめ」
「地蔵梅 じそううめ」
「高田梅 たかだうめ」
高田梅は調査に協力した南部高校の「南」と、高田梅の「高」をとって『南高梅』と命名され昭和40年に農林登録されました。
発見者 高田貞楠さん(たかだ果園の先代)
育ての親 小山貞一さん(五代庵の会長夫人のお父様)
名付けの親 竹中勝太郎さん
さいごに
明治時代に発見された1本の梅の木、長い年月をかけ村の人たちの手で日本で1番有名な南高梅となりました。
あの最初の梅の木、南高梅の母樹の誕生日は10月29日。
2023年で樹齢128歳の今も、たかだ果園で毎年花を咲かせています。